昨年末の事になるが、友人の「関さん」のお店
「ニーノ」のランチへ行って来た。
…久しぶりの事だった。
ひょんな事から知り合いとなった関さんはその昔、
イタリアで修業をされた経験を持つ。
「イタリアで修業する」一見すると当たり前である。
知り合いのシェフ、そのほとんどはそうである。
僕は「関さん」のつくる料理が好きだ。
岐阜、胡蝶庵の一番最初でも触れたが、順位ではない。
好きなお店はたくさんある。
腕のいいシェフもたくさん知っている。
ただ、たまたま今回は関さんのお店に行き、感動を
覚えた。本当にただそれだけの事なのだ。
だから一番とか二番とかそういう事ではないという事を
書き添えておこう。
関さんの料理はその優しいお人柄のよくにじみ出た、
優しい味のお料理が特徴だ…!
このコメントもたいていのシェフに通ずるところがあり、
一見するとあまりたいした事ではない。
『…気を揉ませているだろうか?』
「じゃぁ、なにがよかったの?」といった声が聞こえて
きそうである…。
この店のバツグンは
「手打ちパスタ」である。
僕が「手打ちそば屋」だと言う事は京都でお店をしている
ほとんどのシェフの知るところである。
だからであろうか、皆、口を揃えて「なかじんさん、
ウチの手打ちパスタ食べてよ!」とすすめてくれる。
たとえ「ランチ」であって、手打ちパスタがランチメニュー
の中に無くっても、なぜか特別に出していただく事が多い。
ニーノさんでもいつも「ホントはランチに無いんですけど、
シェフからコレとコレができますとの事ですので…」と
おすすめしていただく。黙っていてもなぜかそうなのだ…。
新しい事や、珍しいものが大好きな僕はいつでもどこでも
そう言われると「じゃ、お願いします!」と頼んでしまう。
意地汚い男なのだ…。
この日もサルシッチャ(豚挽肉)のシェル(ショートパスタ)
が手打ちでできます!とすすめていただいた。
写真、しゃしん?
…あまりの美味しさに写真の事などすっかり忘れていた。
前菜を食べ、パスタが終わってからやっと写真を忘れた事を
思い出した…(恥)。
『手打ちパスタは正直あまりおいしくない…』とずっと
思い込んでいた。
とある有名店で食べたものも、まるで「うどん」のよう
だった事がある。
ここで誤解を恐れずに言わせていただこう!
(たくさんの敵を作ってしまいそうだが…。)
多くの手打ちそば屋がそうなのだが、粉に水を入れ、混ぜて、
こねて、延ばして,切れば「手打ちそば」になると思っている。
例えば「混ぜる」という言葉がある。
よく、『混ぜるだけやったら私でもできるから…』などと言う
御仁がいる。ところが「混ぜる」という行為はホントはかなり
難しい事なのだ…。
本当に「混ぜる」という言葉を理解し,どんな場面でもそれを
実践できる人となれば僅かなものであろう…。
今、書いた事はホンの一例だが,手打ちそばを形だけ習得
するのは普通の運動神経を持っていれば3ヶ月でできるだろう。
おそらくパスタも同じで「作り方」を覚えるのは案外簡単に
できるはずだ。
しかし、本当の意味で「麺を打つ」という行為がどういう事で
あるかを理解するためには、よほどの天才でない限り、永がい
永がい修業と限りない向上心が必要である。
僕はイタリアに行った事が無いのでよくは知らないが、聞いた
話によると地中海性気候で空気は乾燥しているのだと聞く。
その条件でもし、日本で同じ事をしても同じようにはできない
だろうと感じる。おそらくそばでも同じ事が言えるだろう。
ところが、その「塩梅」を体で理解できている人間がいたと
すれば話は違う。
おそばも加水率は仕上がりに大きく左右するのだ。
柔らかい生麺はゆで時間も短くなるし,打ちやすい代わりに
のびやすくもなる。
固い生面は打ちにくいしゆで時間も長く,そのかわりのびにくく
腰を保てるが、その辺の塩梅は微妙だ。
固ければイイというものでもないのだ。
その辺の適正ポイントを天性で感じ取る事ができる人間が
いれば、その人が打つ麺は必然的に美味しくなる。
ニーノの関さん。
この人はひょっとしたら手打ちパスタの天才かもしれない…。
(写真は近日もう一度ニーノの記事を書いてアップします。)